マンガ
「結局人を助けるのは人なんや」…夜廻り猫が描く阪神・淡路大震災
今から25年前に起きた阪神・淡路大震災。6434人が犠牲になった大災害は、多くの人の心に傷痕を残しました。「夜廻り猫」の遠藤平蔵は、心の涙の匂いをかぎつけ、被災地・神戸を歩きました。夜廻り猫から見た「震災」とは――。
震災による被害が特に大きかった神戸市長田区。この地で遠藤が出会ったのは、長田区に暮らす河合節二さん(58)。長田区に生まれ育ち、街の再建を住民有志で取り組んできた人です。河合さんは25年前、この地で起きたことを語り出します。
1995年1月17日午前5時46分。自宅で激震に襲われた河合さん。外に出ると、至る所で家屋が倒壊し、火災も起きていました。
近所の知り合いの女の子から「パパ、ママが埋まっている」と助けを求められました。河合さんは素手でがれきをかき分け、救出にあたりました。
その後も救助を続けましたが、助かった命も、助からなかった命もありました。
倒壊による生き埋めや、火災による焼死など河合さんが暮らす「野田北部地区」だけでも41人の命が犠牲になりました。
古い木造家屋が密集していた街は延焼が拡大しました。
遠藤は「消防車は間に合わなかった?」と問いかけます。
発生直後、地元の消防署も被災している状況でした。同時多発で起きた火災。道もがれきで寸断された状況で、消防隊の到着は難航しました。
通報すれば来て当然だと思う消防車が、やって来ない非常事態。遠藤は、ハッと驚いたような表情を浮かべます。
発生当初、倒壊家屋に閉じ込められている人々を救ったのは、顔見知りの住民でした。河合さんは語りかけます。
「結局、人を助けるのは人なんや」
神戸を襲ったような直下型地震は近い将来、起きるかもしれない。河合さんが大切にしてほしいと話すのは、日常のつながりでした。「兄ちゃんきょうも寒いなとか、簡単なあいさつをするだけでええ。人は知っとる相手を助けたいもんや」
そして言葉を重ねます。
「ひとりでは生きていかれへんで」
「夜廻り猫」の作者・深谷かほるさん(57)は今回、神戸市長田区を歩いて作品を描きました。
阪神大震災から四半世紀が過ぎ、震災を知らない、実感がないという人は少なくありません。深谷さんは「25年前に被災された方々が何を感じ、いま何を伝えたいのか知りたい」と話します。
深谷さんと記者は、河合さんと一緒に長田区の各所をまわりました。
震災で焼けたクスノキが残る大国公園を出発。ボランティアの活動拠点になったカトリックたかとり教会、昔ながらの町並みが残る駒ケ林町、再開発ビルが林立する新長田エリアを歩きました。
昼過ぎに始まった取材。歩きながら質問を重ね、気づけば日は暮れていました。
取材は初めてだったという深谷さん。要所でその人の核心に迫るような鋭い質問をしました。
「ひとりでは生きていかれへんで」という、河合さんの言葉。この作品のキーになるメッセージを聞き出したのは深谷さんでした。「あの震災を経験して、いま一番何を伝えたいですか」
神戸は復旧が進んだ一方、街の風景から被害の傷痕はほとんど見えにくくなりました。
当時の被害状況や復旧の歩みを案内する活動を長年続けてきた河合さんに、震災の記憶の継承の難しさを尋ねました。
河合さんは「しょうがないよね。だって、それをわかってと思っても同じ経験をしていないと、わかりようがない」と答えました。
深谷さんはこの時のことを「当時のことを何にもわかっていない人たちを相手にしているから、河合さんの絶望や覚悟も相当なものだったと思う」と振り返ります。
「伝わらなくても仕方がないという言い方をされていましたけど、それは結論ではないと思います。そう覚悟しながらも無駄を承知で話し続けるということをしている方だと思いました」
心をテーマに作品を描いてきた、深谷さんの観察眼を垣間見ました。
取材の後、河合さんにも話を聴きました。
「深谷さんは好奇心旺盛で聞き上手な方でした。言葉と言葉の間にはいろいろある。僕が言葉にうまく表せない部分を一緒に考え、埋めてくれているのかなと思います。彼女は言葉の行間をちゃんと読んでくれていました」
◇
【マンガ「夜廻り猫」】
猫の遠藤平蔵が、心で泣いている人や動物たちの匂いをキャッチし、話を聞くマンガ「夜廻(まわ)り猫」。
泣いているひとたちは、病気を抱えていたり、離婚したばかりだったり、新しい家族にどう溶け込んでいいか分からなかったり、幸せを分けてあげられないと悩んでいたり…。
そんな悩みに、遠藤たちはそっと寄り添います。
遠藤とともに夜廻りするのは、片目の子猫「重郎」。姑獲鳥(こかくちょう)に襲われ、けがをしていたところを遠藤たちが助けました。
ツイッター上では、「遠藤、自分のところにも来てほしい」といった声が寄せられ、人気が広がっています。
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